[イタリア記]ローマでの待ち合わせ。

都内での修行ののち、シェフに紹介してもらったイタリアのお店で働かせてもらえることになった。電話番号だけあらかじめゲットし、成田からモスクワを経てローマへ。12,3時間?の後、ローマの喧騒のなかに降り立った。

とりあえずイタリアについたら連絡しろと言われていたので、お店のシェフ、ペッペに電話をした。


実はイタリア語は日本で一年習っている。と言っても、語学学校に通う金も時間もないため、イタリア人が集まっているバーをネットで調べ、飛び込みでとにかく話すという超実戦的方法だった。

そのなかで幸運にも、日本人向けにイタリア語学学校教師をしているというトリノ出身の人に出会い、学校教材をコピーして横流ししてもらうというギリギリな勉強法で基礎を身につけることができた。定休日の夜はバーで添削してもらっていた。報酬はネグローニ一杯分だった。

夏にはイタリアはヴァカンツァになる。1〜2ヶ月の休みだから、その頃のバーはイタリア人でいっぱいになった。ヴェネツィア、ローマ、ミラノ、色々な街のイタリア人に会って、なんでもいいから話をした。とりあえず知ってる地方料理を言えばきっかけにはなったのだ。

それなので、ある程度の会話はできるという自信があった。しかし、プーリア人には日本では会わなかった…。


さて、電話の向こうのシェフ・ペッペは、だみ声の超早口で捲し立てた。プーリアの方言だ…さっぱりわからん。そういえば、イタリア語での電話も初めてだった。やばい、どうしよう…。

とにかく自分の名前を言って、どこに行けば良いのか聞かねば。イタリア語のRは、思いっきり巻き舌になる。私はARAIです。アッルrrrrrァーイです。どこへ行けばいいですか?ドーヴェ・チ・ヴェディアーモ?

ところが、電話の向こうもアラーイアラーイと言っている。どういうこと?しかし、行くべき通りの名前はわかった。ヴィア・エットレ・ロマニョーリ。タクシーを捕まえて行き先を告げた。入って気づいたが、そのタクシーの運転手はピンクのモヒカン頭。車はBMWのセダン。狭いローマの街中を80キロくらいでぶっ飛ばした。正面に来たトラム(路面電車)をギリギリかわしたときは映画TAXIそのものだった。

そんなこんなでなんとか指定した住所に辿り着くと、そこには小柄でずんぐりした白髭の老人がピシッと立って待っていた。その背後には大きな建物…。そう、そこはイタリアのTV局Raiであり、ペッペはアライではなく、「Raiの前まで来い」と言っていたのだった笑

続く

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です