ローマからプーリアへ
深夜の高速道アウトストラーダを旧型アウディは150キロ近くで走っていた。
その速度の自動車に乗るのが初めてだった私は、長旅の疲れも深夜だということも忘れ、しっかりと目を見開いて後部座席についていた。
シェフ・ペッペは、ローマのTV局Raiでの撮影を首尾よく終えたのだろう、機嫌よく話をしているが、訛りと騒音のせいで全く聞き取れない。助手席にはスーシェフのアントニオがおり、彼はペッペよりひとまわり若くみえ、話に相槌を打っている。
アウトストラーダは、日本の高速ほど舗装されてないし、ぱっと見では一般道のように見える。道路のせいか古い車のサスペンションのせいかわからなかったが振動が激しい。あまりにスピードを出し過ぎてそのまま空中分解してしまうのではないかという恐れを拭い去れず、6時間のあいだ、一睡もせずにプーリア州北部の山あいの村、オルサーラ・ディ・プーリアにたどり着いた。
まだ夜が明ける前であった。真っ暗な中、一体ここはどこなのか、何もわからないまま部屋に案内されてその日はそのまま眠ってしまった。
部屋に光が差していた。来た時には気づかなかった、部屋の調度品たちの工芸のような美しさに驚いた。ほぼ人攫いのような勢いでここまで来たので、自分がどこにいるのか把握するのに時間がかかった。
部屋の外に出た時、まるで映画のセットの中にいるような気分であった。
レンガ造りの庭園と通路、その先に門があり、朝日がかかっていた。その向こうは見渡す限り緑の丘。なんて美しい。
通路を門の方に下って行く。レザージャケットを着ていたが、プーリアでも3月は寒い。というか東京より寒い。暖かかった部屋の方を未練がましく振り返ると、それはホテルというか城であり、レストランの規模にただただ驚くばかりだった。
門の所に事務所のような建物があり、そこで待ち合わせすることになっていた。ほどなくしてペッペは来た。エーイ、ジョバノット(ジョバノッティ)!というのが彼のお決まりの挨拶で、スタッフみんなにこう声をかける。やあ、若者たちよ!
まずはレストランに移動し、軽く仕込みをすることになった。さて、さっそく仕事だ。
続く