ペッペズッロに来てから数日の後、スーシェフのお母様の家に行き、オレッキエッテを学ばせてもらえることとなった。
ペッペズッロから見えた山の上の町に、家があるらしい。シェフペッペの車に乗り込み、山道をゴトゴトと走っていった。
町の入り口にはロータリーがあり、バス停と簡易的なガソリンスタンドがあった。そこを越えてさらに登っていくと、細い路地に小さな家が連なっている。
おばあちゃんのことをツィーア(zia)という。事前に聞いていた名前はツィーアパッパネだから、パッパネおばあちゃん…変わったかわいらしい名前だと思った。おそらくあだ名だと思うのでもしかすると本名はポピュラーな響きかもしれない。
90歳を超えていたが、背筋はぴっと伸びてかくしゃくとした方だった。家に招き入れられると早速オレッキエッテ作りが始まった。
この時、メリッサというアメリカ人シェフも一緒に研修していた。彼女はメイン州のプリモというファームレストランのシェフであり、アメリカ全州から選出される年間ベストシェフにも輝いた経歴を持つ素晴らしい人だった。
彼女と私は、おばあちゃんたちの手元を凝視しながらその動きをトレースしようとした。しかし、おばあちゃんの手捌きはかなり素早く、理解は難しかった。
私が日本で本から学んだやり方は、指で押しつぶして引きずるというものだったが、彼女たちはテーブルナイフで引きずっており、テーブルとナイフの1,2ミリの間から生地が生きているように、ぐにゅうと出てくる。
指で引きずるよりもずっと薄く、ざらざらしている。首の皮一枚残すように、生地がほんの少し残ったところでナイフを止め、そのまま持ち上げる。ナイフを持ってない方の手の小指の先に、お猪口形になっている生地をのせる。生地を小指の先に被せる。それで出来上がりである。
さて、これを初めてやるのはとても難しい。まず、ナイフで豆粒ほどの生地を引きずる際、力加減がわからず生地が破けてしまう。
破れなかったとしても、引きずりかたが弱いとお猪口形にならずぺったりとしたメダル形になる。ちなみにそれはストラッシナーティという別のパスタになってしまう。
何度も何度も上手くいかずに潰された。おばあちゃんたちは意外と厳しいのである。
特に引きずるときの力加減や、小指に被せる時に生地のざらざらを潰さないようにすることが難しい。
Gira, gira, gira! (“ジーラ、ジーラ、ジーラ!”「裏返す、裏返す、裏返す!」)
おばあちゃんに捲し立てられながら必死に作り続けた。なんとか形になってきた。ついに、私の作ったオレッキエッテは潰されずにおばあちゃんの作ったものの隣に招き入れられた。
コツを掴むと、どんどん形は良くなり、おばあちゃんたちの顔は何故だかどんどん嬉しそうな表情になった。
極東から来た謎の男がオレッキエッテを学ぶということが、おばあちゃんたちにとってはどんなものなのか、あるいは瑣末なことかもしれない。
しかし私にとっては、その後の人生を変える大事な日になったことは間違いがない。
8年前のことなので、おばあちゃんたちは今も元気にしているかどうかはわからない。もう100歳近くになっているはずだから。
シェフ・ペッペに聞くことも出来るが、それはこの思い出を終わらせるような行為に感じる。現地に行っておばあちゃんたちとまた一緒にオレッキエッテを作ることが、この話を続ける方法だと思うのだ。